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弁護士は小説家とは違います。

※元ネタはExcite エキサイト : 社会ニュース

だから、被告の弁護をするにしても、自由に主張をでっち上げていい訳ではなく、妥当な論拠に基づいて、必要であろう主張をするべきだと思う。
これはあくまで私見だが、少なくともそれほど間違ってはいないと、僕は考えている。

しかし、世の中は広いらしく、僕の認識を根底から覆すような弁護をされる方々がいらっしゃる様子。
それは、光市母子殺害事件の最近の被告人弁護士団の主張などを見れば、納得いただけると思う。
「死刑にさえならなければ、どんな弁護をしてもいい」的なスタンスが、とても香ばしく思えてしまうのは、僕だけではないと思う。






そもそも、あの被告人の主張は何なのか?
ちょいとググると、被告人の主張が全てデタラメである事がわかったりします。
※リンク先、かなりしっかりとした説明がされています。ドラえもんは当然のごとく、山田風太郎の小説に関してもデタラメであった事が判りやすく説明されています。

以前の主張と問題となった主張の差を見れば、明らかは違和感を誰もが感じるだろう。
また、被告人が知人にあてた手紙の内容などを読むと、この度の主張との違和感をさらに強くすることだろう。
以下、wikipediaより引用。
* 「ま、しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。ありゃーちょうしづいてるとボクもね、思うとりました。・・・(註: 「中略」の意味?)でも、記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんのなら好きにしてやりたいし」

* 「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」

* 「犬がある日かわいい犬と出会った。・・・(註: 「中略」の意味?)そのまま"やっちゃった"・・・これは罪でしょうか」

* 「5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時ば(註: 藤井が「は」を打ち間違えたものと思われる)完全究極体で出たい。じゃないと2度目のぎせい者がでるかも」
まあ、この度のような稚拙な主張を根拠にする弁護団の目的は何だろうかと考えると、やはり「精神的な問題で責任能力がありませんので、死刑なんてとんでもないです!」って事なんでしょうか?

こんな寝言のような話がまかり通るななら、「死姦は『再生の儀式』だと言い切れば問題ない」なんて前例ができてしまうわけだし、DVか何かで子供が死んでしまったとしても、「押入れに入れておけば、ドラえもんが何とかしてくれると思った」といえば、問題ないことになってしまうわけで、それこそ大きな問題になるでしょうな。

そんな発言を根拠に弁護を展開しようとする弁護団など、仕事であれなんであれ、社会のためにならないのは明白な事実だろう。
現実というのは、小説ではないのだから、精神科医の後付ちっくなストーリーなど重要ではなく、客観的な事実こそが必要なのだと僕は思う。
いくら弁護のためとはいえ、明らかにムリのある話をでっち上げても、被告のためにはならないことを、この弁護団は身をもって知るべきだろうね。

ですから、今回の橋本弁護士の主張にはかなり同意できる部分がある。
以下、引用。
橋下弁護士は、「信用の侵害」「品位を失うべき非行」に当たる理由として、概ねこう述べた。

―― 今回の事件の弁護団は、1審、2審で被告人は犯行についての具体的内容については争っていないにもかかわらず、上告審弁論に日弁連の行事のため欠席した上、加害者の「強姦」が「死者を復活させるための儀式だった」などとこれまでまったく主張してなかった新たな主張を展開した。差し戻し審で新たな証拠が出てくれば、新たな主張をするのは当然のことだと思うが、そうであるなら何ゆえ主張を変更したのか、きちんと被害者なり社会に対して分かるような形で説明しないといけない。「世間に晒されることがなかった弁護士」も、刑事裁判で被害者遺族の主張がマスメディアを通じて様々に報じられるなかで、「説明責任」がある。それを怠って、被告人のためだけに活動すればいいんだ、という弁護活動は「品位を失うべき非行」に僕は当たると思っている。

その一方で、「品位を失うべき非行」という規定についても「品位の中身を決めるのはできないし、馬鹿げた規定で、弁護士会はバカ」とし、

「(弁護士は)免許業であるにもかかわらず国の監督権限を受けない。この言いわけのために『懲戒請求』の制度がある。いわば『弁明の具』だった」

と持論を展開した。
懲戒請求というものが、今回の事例に対して適切なものであったかはさておき、弁護士の主張の正当性への疑問を解消するための手段を知る事が出来たと思う。
少なくとも、その制度を知ることによって、デメリットはあるものの、明らかに異常だと思われる裁判に対して「何かできること」を提示したわけだから、この功績は大きいと思う。

閑話休題。
仮に僕の嫁さんが、このような事件の被害にあったなら、絶対に司法の場で裁いてほしくない。
今回のような裁判の行われ方を見るにつけ、その思いは本当に強くなった。
誰に何を言われようが、自分のみに何が降りかかろうが、何が何でも、犯人に復讐するだろう。
それも、ここに書く事が出来ないような凄惨な方法で、むごたらしく復讐するだろう……。

もっとも、そう考えるのは僕だけではなく、犯罪被害者の心境は、おおむねそうだと思う。
でも、それを実行しないのは、日本が法治国家だからだと思う。
法治国家であるのなら、犯人は正当な裁きを受ける必要があるのではないだろうか?
……と、僕は思うわけだ。
by bowworks | 2007-09-05 23:17
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